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なぜ梨を食べなかったのか殺人事件 〈後〉
Why didn't he eat the pear?
TAKE 4
「しかし……」
と、巡査は言った。
「犯人は被害者を殺しておきながら、どうして現場に残された熊谷梨を食べなかったのでしょうか。この梨は、非常に高級なものなのでしょう」
熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏は悲愴な表情で答えた。
「はい。熊谷高原の豊かな土壌に育まれた三種の梨はいずれも糖度が高く、濃厚でありながらさっぱりした味わいです。もちろん、農薬や化学肥料の類は一切使っておりません。包丁でさっくりと切ると……」
そこに、警部がやってきた。熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏は、警部に何か文句を言おうとしたが、その前に巡査が敬礼をした。
「警部、ご苦労様です」
「現場の状況は」
「はい。被害者の状況はご覧の通りです。問題は熊谷梨のことです。被害者の前には、山盛りにされた熊谷梨が置いてあったのです。しかも皮はむいてあり、六等分にカットされた上、氷で冷やされていました。鋭く砥がれたナイフも残されており、これが凶器になったようです。この梨は今話題の高級なもので、普通の人間なら食べずにいられるはずがありません。犯人は、なぜ梨を食べなかったのでしょう」
「それは簡単だよ」
「えっ、もうおわかりになったのですか」
巡査と熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏が注目する中、警部は推理を述べた。
「犯人が梨を食べなかった理由は、犯人が梨嫌いだったからだ」
熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏がぽかんと口を開けた。すかさず巡査が答える。
「わかりました。被害者の知人に梨嫌いがいなかったか探ってみます」
巡査が急いで部屋を飛び出していく。警部は無表情のまま冷静に一礼して、呆然としている熊谷豪三氏を刺激しないよう、こそこそと部屋を出ていった。
TAKE 5
「しかし……」
と、巡査は言った。
「犯人は被害者を殺しておきながら、どうして現場に残された熊谷梨を食べなかったのでしょうか。この梨は、非常に高級なものなのでしょう」
熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏は悲愴な表情で答えた。
「はい。熊谷高原の豊かな土壌に育まれた三種の梨はいずれも糖度が高く……」
そこに、警部がやってきた。熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏に怒鳴る暇を与えず、巡査が敬礼をした。
「警部、ご苦労様です」
「現場の状況は」
「はい。被害者の状況はご覧の通りです。問題は熊谷梨のことです。被害者の前には、山盛りにされた熊谷梨が置いてあったのです。しかも皮はむいてあり、六等分にカットされた上、氷で冷やされていました。この梨は今話題の高級なもので、普通の人間なら食べずにいられるはずがありません。犯人は、なぜ梨を食べなかったのでしょう」
「それは簡単だよ」
「えっ、もうおわかりになったのですか」
巡査と熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏が注目する中、警部は推理を述べた。
「犯人が梨を食べなかったのは、犯人にとって梨が神聖なものだったからだ」
「それじゃあ……」
巡査が、熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏に目をやった。熊谷豪三氏はぎくりとした表情で、「違う、違う」と手を振った。
「熊谷さんではないだろう。あなたは、梨をおいしく食べてもらうことに情熱を燃やしている方だ。梨を神聖だと考えていたとしても、だから食べないということはない」
「それでは、誰なのですか」
「梨園というと、梨狩りをする場所という意味もあるが、他に歌舞伎役者の社会も表す言葉だ。これは実際に、梨の植えられているところで舞踏の指導が行われていたという故事によるもので、だから役者にとって、梨園や梨は神聖なものだったのだ」
警部が自分でも信じていないような口調で推理を終えると、巡査も首をかしげながら答えた。
「わかりました。被害者の知人に歌舞伎役者か俳優がいなかったか、調べてみます」
巡査が急いで部屋を飛び出していく。熊谷梨園の三代目オーナー熊谷豪三氏は感嘆した口調で言った。
「さすがは警部さんです。お見事な推理でした」
警部はこわばった顔の筋肉を動かして無表情を作り、冷静に見えるよう一礼した。
CUT
「すると……」
と、巡査は言った。
「このドラマは、熊谷梨園が単独スポンサーで、監修も三代目オーナーである熊谷豪三さんが自ら行っていたのですね」
「そうです」
監督は汗を拭きながら答えた。
「そもそも、ドラマの企画自体、熊谷さんが持ち込んだものだったのです。ミステリ・ファンだと称しておられまして、ええ、いろいろ映画を見たり小説を読んだりされていたようです」
「本人役での出演も、熊谷さんが言い出したことですか」
「もちろん。自分を出せ、梨をキーポイントにしろ、と注文がうるさくてね、参りましたよ。おかしな人ですよ。自分で売っている梨を出しながら、殺人事件も起こせだなんて。そういうのをおもしろがっている人だったんでしょうね」
監督はぺらぺらと喋っていたが、ふと事件のことを考えたのか、しゅんと顔を伏せた。
そこに、警部がやってきた。巡査が敬礼をする。
「警部、ご苦労様です」
「現場の状況は」
「はい。被害者は熊谷豪三、五十三歳。ブランド梨で有名な熊谷梨園の三代目オーナーです。ドラマの撮影中……いえ、失礼しました。撮影の合間、打ち合わせの最中に、胸をナイフで刺されました。現在病院に運ばれています」
「加害者はわかっているのか」
「はい。隣の部屋に入れてあります」
警部と巡査は、現場となった書斎を出て、隣の部屋に向かった。ドアの前に立っている刑事が二人を中に入れた。
中にいたのは、若い男だった。左右に刑事が一人ずつ立って男を挟んでいる。
「中村章二、二十六歳。今回のドラマの脚本家です。被害者と脚本の打ち合わせ中に口論となり、被害者をナイフで刺したところを、複数のスタッフ、出演者によって目撃されています」
「あいつは……」
中村が、ぽつりと喋り出した。
「僕の書いた脚本に文句ばかりつけてきました。初めのうちは、それでもまだましだったんです。スポンサーですから、機嫌は取っておかなければならないし。でも、段々調子に乗ってきて、自分を犯人にしろだの推理させろだの……僕も腹が立ったけど、それでも何とか言う通りにしました。しまいには、かなり適当なものを書きもしましたよ。そうしたら、熊谷はとうとう自分で脚本を書くと言い出して」
中村は唇を噛みしめた。
「何が梨園だ。何が梨は神聖だ。そんなものが通じると思ったのか。それでいて、僕に向かって『やはり俺の書いた台本が一番良い』と言ってきた。ひどい、あまりにもひどい……それで、かっとなって、つい……」
「しかし、ナイフはどうしたんだ」
警部が尋ねると、中村は薄く笑むような表情を見せた。
「梨を切るための果物ナイフですよ。撮影現場にありましたからね」
「本物のナイフを撮影に使っていたのか」
「もちろん、そんなものは用意していませんよ。ナイフを出してきたのは熊谷だ。……梨を切るのに良いと言って、熊谷が自ら提供してきたんですよ」
中村はちょっと声をあげて笑ったが、すぐに大きく息を吐いて、頭を抱えた。警部は疲れたように、首を横に振った。
「ひどいもんだ」
中村は一人で呟くように言った。
「よく切れるナイフでしたよ」
CRANK UP ――後片付けをする助監督の独白
「殺人事件なんて設定にしなきゃ良かったのに……」
(2006.09.02)
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