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アンデラクト 〈4〉
Under Act

 ピアスの男、紳士のそばから青年を呼ぶ。青年、道化に向かって頭を下げ、呼ばれた席に急いだ。
「やあ、Gくん」
 紳士、どうやら青年を呼ばせたようである。他、紳士と親しいとされる俳優、女優が数人一緒だ。いずれも確固たる定評がある人々である。
「どうかな、ここの雰囲気にも、だいぶ慣れてきたかな」
「おかげさまで」
 青年、あくまでも社交辞令としてそう言う。
「誰かと、話はした?」
「はい。お付き合いしていただきました」
 ピアスの男、保護者のように青年の傍らに立っている。
「それじゃあ、どうかな。君の話も聞かせてもらおうか」
 青年、息を呑む。
「何でも構わないよ。仲間内の噂話でなくとも、君のしたい話でいい。自分で喋らないと、本当に楽しい時間を共有することにはならないからね」
 青年、瞬時目を泳がせる。青年には、最初からこの場で話そうと思っていたことがある。やろうとしていたこともある。それを逡巡していた。しかし、それを言う機会を紳士から与えられたことが、青年の背中を押した。
「人の……話でいいですか」
 ピアスの男、ちょっと驚いたように青年の顔を見る。紳士、興味ありげに顔を前に突き出す。
「誰かから聞いた話ということかな」
「いいえ、僕に近しい人の話です」
「いいじゃないか。話してくれるかな」
 青年、乾いた唇に舌を滑らせる。
「Mという俳優がいます」
 青年、芝居のト書きと言うよりは、講談のように話し出す。
「彼は、ある女性を傷つけました。僕の大切な人です」
 青年、あえて誰の目も見ない。
「何があったのか、彼女は詳細には語りません。小さな胡桃が、殻を砕かれ、それに守られていた柔らかな実を粉々にされ、じわりじわりとペーストになるまですり潰されて、どろりとなったそれが地面にぶちまけられ、踏みにじられるような」
 青年、次第に早口になる。自分が何を言っているのか、はっきりとは認識できないほどである。それが意識された演出かどうか、青年本人にもわからない。
「そんな目にあったと言います。彼女は役者を目指して上京し、劇団に入って一年目でした。彼女と一週間連絡が取れず、僕は様子を見に行きました。彼女は、いつも劇団に来るときのTシャツにジーンズという格好のまま、床にぼんやりと座り込んでいました。彼女の様子があまりにおかしかったので、僕はすぐに彼女を病院に連れて行きました。食事も睡眠もほとんど取っていない状態でした。風呂にもずっと入っておらず、服は一週間前に着ていたものそのままのようでした。今も入院しています。身体はそうひどく傷ついているわけではないのですが、一人で生活できる状態ではないといいます。もう少し動けるようになったら、実家に帰ることになると思います」
「もうやめろ」
 ピアスの男、吐き捨てるように呟く。
 青年、自分の先輩である男を黙って直視する。ピアスの男、顔を上げない。
 紳士、はじけたように笑い出す。世を治めた武将のように、腹の底から笑っている。青年、目を見開く。
「乾杯だ!」
 紳士の声、太く響く。
「全ての嫌なことに、乾杯!」
 紳士の周囲、一気に明るくなる。歓喜の歌を叫ぶがごとき声が、幾重にもなって渦巻く。
「乾杯!」
「喜びは悲しみを癒やす」
「笑いは辛さを隠す」
「乾杯が人を幸せにする」
「不快なことは何もかもぬぐい去れ」
「乾杯!」
「乾杯!」
 青年の足元、ぐらりと揺れる。
「やめてください……」
「過去の重さはここでは無意味」
「なぜならここは刹那の現実」
「別の現実!」
「なくなる現実!」
「あえて苦しむ必要があるか?」
「ここでいくら悶えようとも、未来は何も変わらない」
「どうせ存在しない現実ならば、全て忘れて楽しめばいい」
「ほら、笑って」
「笑おう!」
「やめてください……お願いですから……」
 青年、か細く訴える。紳士の周囲、さっきまでより一回り大きな輪ができている。互いにグラスを重ね、オードブルをつまみ、大きく口を開けて笑う。
 青年、無意識に目でカルメンの姿をさがす。カルメン、青年からだいぶ離れたところにいる。一人で何かを飲んでいる。青年の方を見ていない。助けにはなりそうもなかった。
「お前」
 ピアスの男、青年の手首をつかむ。青年、正気に返る。
「少し離れて、話そう」
 ピアスの男、そのまま別のテーブルに向かって青年を引っ張っていく。青年、ピアスの男に助けられたような心地すらする。紳士たち、熱いような幸福感に包まれている。
(2006.06.07)

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