Home > 小説 > アンデラクト
アンデラクト 〈3〉
Under Act
青年、カルメンと別れる。ピアスの男、道化の格好をした男と共に戻ってくる。
「やあ、久し振り」
道化、青年に向けて手を上げて見せる。青年、まじまじと道化の顔を見つめる。白塗りの顔に、極端にデフォルメされた赤い口。目の周りは星型に黄色く縁取られ、左目の下には青色で涙が描かれている。きついパーマがかかった緑色のかつらをかぶり、ちょこんとまるい帽子を上に載せている。服はだぶだぶだ。
「Kさん、お久し振りです」
「あ、わかった?」
「はい。新宿の舞台以来ですね」
「うん。君は、《鳩に餌をやる男》だったね」
「そうです」
「君の役どころ、おもしろかったよ。背景のようで、妙に印象に残る。舞台のイメージを決定付けるニスのようだった。台詞が多くなると、どういう風になるか楽しみだね」
青年、批評するような道化の物言いに、戸惑いながら礼を言う。外側から見られているような心持ちがする。
「えっと、君は、Gということになるのかな」
「そうです」
「ふうん、若いのにねぇ」
「何ですか」
「Gさんと呼ばれるのは、まだ嫌でしょ」
道化、気の利いたジョークを言ったように笑う。
「君は、パーティ楽しんでる?」
「あまり……楽しみ方がわかりません」
「おもしろい話をすればいいのさ。皆、お手軽だからって身内の噂話をしがちだけどね」
道化、ピアスの男を指差す。
「こいつ、不機嫌に見えない? 自分のする話があんまり受けないんでさ、ふてくされてんだよ」
ピアスの男、はっ、というような声を出す。道化、ひばりのようにくすくすと笑う。
「いつもお前が言っているんじゃないか。このパーティで失敗しても、後には影響しないから問題ない、って」
「別に引きずらないさ。それに、喰い付きの悪さなら、Kの話の方が上だろうよ」
青年、遠慮のない二人の親しさをうらやましく感じる。
「おもしろいと思ったんだけどな。風呂入ったり、自転車乗ったりするときに、ふっと思い出し笑いするんだよ」
「どんな話をなさったんですか」
「昨日終わったばかりの舞台の初日、プレ公演だったんだけど、台詞を間違えたんだ」
「それが、笑い話ですか? どんな間違いですか」
「ボンソワールと言うところで、ボアソナードと言った」
青年、曖昧に笑う。道化、不満げに眉を寄せる。
「……駄目かなぁ」
「わかりにくいんだよ」
ピアスの男、やや機嫌を直したように、カクテルのグラスを取って飲み出す。
「あ、俺も俺も」
道化、毒々しい青色のカクテルを取る。ピアスの男、わざとらしく口を押さえる。
「気持ちわりぃ」
「きれいな色じゃないか。ね、Gくん。これ、何の色だと思う?」
青年、言葉に困る。
「海の色、ですか」
「それって、スーパーウルトラロマンティスト」
青年、道化の笑いに顔をそらす。道化、左手の人差し指をすっと立て、自分の目の下を指差す。
「――涙の色」
「くだらねー」
ピアスの男、子どものような口調で道化をからかう。
「それじゃ、Gと変わらねぇだろ」
「本当に、このカクテルには《涙》という言葉が使われているんだよ。どこの言葉か忘れたけど」
道化、涙のカクテルをゆっくりと飲み始めた。
「切ない気分に浸りたいわけよ。俺は、このパーティ、最後だから」
「本当に、おやめになるんですか」
青年、道化が昨日の公演限りで役者を引退すると表明したことを知っている。
「うん、次にやることも決まったし」
「何ですか」
「雑誌のライター」
青年、首をかしげる。
「そりゃあ、文章は下手だけどさ。一応、役者とかタレントとか、芸能関係では知り合いも多いから、何とかなると思うよ。連ドラで一回だけ役名ももらっているから、ちょっとは俺の名も知られているし。肩書きは、何々評論家になるんじゃないかな」
道化、道化らしく自虐的に語る。
「ここで落ち込むなよ」
ピアスの男、ぼそりと言う。
「落ち込みはしないさ。むしろ、こんな幸せって他にある?」
道化、本当に心から嬉しいような笑顔を見せる。口の周り、かすかに青い。
「ここは最高だ。何の憂いもない」
「うん、最高。気持ちいいよね」
ピアスの男、道化と自然に目を合わせる。青年、スイッチの入った音を聞いたような気になる。二人、波のように言葉を交わし出す。
「幸福とは」
「忘却だ」
「忘却そのものだ」
「全てのミスは雲となって散る」
「全ての過ちは霧となって消える」
「未来を考えずに済む時間こそ、至上のものではないか」
「未来がなければ不安もないのだ」
「忘却に乾杯だ」
「乾杯」
二つのグラス、鋭く音を立てる。青年、眩惑される。真っ直ぐ立つこともままならない。無意識に声が漏れる。
「ここは……舞台の上ですか」
「とんでもない!」
ピアスの男、鷲のように瞠目する。
「ここもまた現実だ。しかし現実でない現実だ。現実の中の虚構、いや、日常の現実とは異なる、短い現実だ」
「短い現実!」
道化、快哉を叫ばんばかりに破顔する。
「そう、今はまさに短い現実。みんなハッピイ。最高!」
青年、ソーダ水を手に取り、いつになく一気に空ける。目眩はなかなかやまない。
そのとき、少し離れたところから、ピアスの男を呼ぶ声がする。紳士、二つほど先のテーブルから手招きしている。
「はい、ただ今伺います」
ピアスの男、飲みかけのグラスをテーブルに置き、ほとんど駆け足のように紳士のほうへ向かう。
青年、このままピアスの男と離れてしまうことにならないかと恐れる。パーティの間は、できるだけそばにいたく思っている。
道化、ふっと息を吐き出した。青年、戸惑う。道化のため息がひどく荒涼としていたからだ。
「駄目だなぁ。やっぱり、いつもほどテンション上がりきらないや」
道化、ピアスの男を遠目に見る。
「あいつはさ、Uさんになりたいんだよ。どのUさんのことか、わかるよね」
「はい」
青年、改めてピアスの男の顔を見直す。
「完全に信者でさ。役者としてもそうだし、Uさんの書いたエッセィ集読んだ? あいつはあれ読んだ次の日さ、俺に語る語る語る」
道化、カタルカタルカタルと呪文のように繰り返す。
「君だって、Uさんの武勇伝、聞いたことあるでしょ? 例えば、あの人は昨年結婚したけど、それまでに両手の指に余る数の女性と浮名を流して、一滴の涙も流させなかった、なんてさ。本当かどうかわかんないよね。ただ、Uさんならやりかねないって思われている。あいつなんか、そこまで真似しようとしているんじゃないかなぁ」
道化、身近な人間の話をするとき特有の照れたような苦笑を見せる。
「いい奴だよな、あいつ。あいつの話に乗るの、おもしろいし。あれで、頑なじゃなければいいのになぁ。ひどいんだよ。ぶっちぎれたら怖いんじゃないかな。俺は、あいつがきれる前にさーっと逃げちゃうけどさ。何するかわかんないよ。でも、そういう繊細さって、悪くないと思わない? 俺は、それは何となく役者らしくて、いいと思うな」
道化、その姿に似合わず冷静な目をしている。青年、楽屋で煙草を吸うピエロを覗き見たような後ろめたさを感じる。
「君もさ、もっと壊れたら? 一回しか舞台見ていないけど、君、真面目でしょ?」
道化の矛先、青年に向く。道化、白手袋をはめた右手を出し、指先で青年の眉間を指す。青年の真正面に白塗りの顔がくる。
「何であれ、思いつめないほうがいいよ。君は、俺なんかよりずっといい役者になれると思うからさ。愚直なフールにはなりたくないでしょ? 了解?」
青年、この期に及んでまだ迷いを拭い去れない。道化は青年を大きく惑わせた。青年、しかし道化は遅過ぎた、やはり遅過ぎたのだ、と自分に言い聞かせる。
(2006.06.07)
<<< >>>
Home > 小説 > アンデラクト
Copyright (C)2007 Nathalie, my sweet darling. All rights reserved.