Home > 小説 > アンデラクト
アンデラクト 〈2〉
Under Act
青年、ピアスの男に連れられ、会場を回る。会う人ごとに挨拶をし、乾杯をし、談笑する。青年こそ加わらなかったものの、やや際どい業界話がそこここで交わされる。青年、これをパーティの楽しみなのだろうと想像する。
ピアスの男、表情の固い青年にこう説明する。
「王様の耳はロバの耳、他人の噂は蜜の味だ。黙っているのは身体に悪い。忘れるからこそ、話せる。バランス良くできているじゃないか」
さて、パーティ会場に、ひときわ目立つ姿の男がいる。道化の仮装をした男である。訝しげな青年をよそに、ピアスの男、「ちょっと喋ってくる」と言い、道化の方に行ってしまう。
青年、一人残され、下手に他の人に声をかけるわけにもいかなくなる。明らかに、この会場で青年は最も格下の部類に入る。青年が辺りを見回せば、舞台あるいはテレビの中で見たことのない者はない。なるべくピアスの男の近くにいたいと考える。青年、やたらとのどが渇き、ウーロン茶やオレンジジュースを選んで飲み、ときどき腹を満たすためにスナック類をつまんだ。
青年、ふと一人の女性と目が合う。青年、その女性のことも当然テレビで見て知っている。女性の周囲、彼女に構う人間は皆無である。女性、青年を見てふっと微笑む。
女性、青年の方に近付いてくる。熟れたトマトのように赤いドレスと、胸元につけられた薔薇のコサージュから、青年、単純にカルメンを想像する。
青年、頭を下げて挨拶をする。カルメン、その挨拶を気に留めなかったかのように、ふいに言う。
「キリン」
「え?」
「キリン、って聞こえない?」
「何がですか」
「乾杯の音」
カルメン、そっと目を伏せる。
「目をつむって、耳を澄まして」
青年、言われた通りにする。見なくとも、会場中が乾杯に満ちていることがわかる。グラスの触れ合う音が次々と耳を通り抜けていく。まもなく、目を開いた。カルメン、にこやかに青年を見ている。
「聞こえない?」
「どちらかというと」
「うん」
「――みりん、と聞こえました」
カルメン、快活に笑う。この場において不似合いとされるような、健康的な笑いである。
「あなた、俳優さんよね」
「はい。Gといいます。このパーティは、初めてです」
「どう? 楽しい?」
青年、返事に詰まる。ハイヒールを履いているらしいカルメン、青年より目線が高い。そうでなくとも背は高く、細身である。顔立ちは当然のように整っている。
「あたし、このパーティって大好きよ。ここではみんな、いい人だもの。みんな楽しそうだし、幸せそう」
「そう……ですか」
「何か、不満がある?」
カルメン、姉のような眼で青年を見る。
「このパーティは、僕にはとても虚しいもののように思えます。例えば、ここで話される噂話がありますよね。でも、聞いてもどうせ忘れるのでしょう。失礼ですけれど、皆さん、いい加減なことを言っておられるのではないですか」
青年、自分がパーティを冷めた目で見ていることに気が付いている。一歩引いて見れば、高名な俳優も幼児のごとし、遠足に来てはしゃぐ子どもと大差ないように感じている。
カルメン、青年を諭すようゆっくりと言う。
「ここでの嘘は、生まれなかった細胞と同じ。ここで真実を話すからこそ、意味がある」
カルメン、オウムのように艶やかな笑みを浮かべる。
「あなた、そう思わない?」
「それは……」
青年、視線を落とす。
「その通り、です」
カルメン、青年にグラスを取るよう促す。オレンジジュースを取った青年を見て、カルメン、ドイツの言葉で乾杯を言う。青年、カルメンとドイツという組み合わせに狼狽し、次いで狼狽した自分に驚かされる。彼女からカルメンを連想したことから、自分がパーティに呑まれている事実を突きつけられたように思ったのである。
カルメン、グラスを半分ほど空ける。
「ねえ、あなた。恋人はいる?」
「はい、います」
「好き?」
「好きです」
「それだけ?」
「――大好きです」
「素敵。あたしも恋してる。でも、どうかな。世の中には、良い恋と悪い恋とがあると思う?」
カルメンの眼、彼方を見つめる。
「あるとしたら、あたしはきっと悪い恋をしていると思うの。うん……よくわからないけれど」
「そういう話はやめましょう」
「どうして?」
「愉快ではないでしょう」
「あたし、とっても愉快よ」
カルメン、ビー玉を転がすような笑い声をたてる。
「私の恋はまちがいなの。でも、むりやりそれを正解にしようとしている。そうすれば、勝ちだもの。ええ、勝ちなのよね、これは」
「何をおっしゃっているのかわかりません」
「そういうずるをしちゃったら、これからはもう、恋なんて語れないわよね。だからせめて、ここでは喋らせてよ。どうせ、なくなってしまう時間なのだから」
「悲しいことを言わないでください」
「何が悲しい?」
「わかりません」
「あなた、何もわからないのにそれを言うの」
「はい」
カルメン、ずっと笑っている。
「まるであなた、あたしの恋人みたい」
「違います」
「そうね、違うわ」
「めったなことを言わないでください」
青年、しいて強い調子でたたみかける。カルメン、グラスを持ったまま嬉しげに軽い拍手をする。
「あなた、いい人。あたし、あなたみたいな人も好きよ」
カルメン、ハイヒールの音を立てて、青年にすっと近付く。見せ付けるように残ったワインをあおり、目を細めて微笑む。青年、カルメンに見下ろされ、言葉を発することができない。
「あなたの幸せに」
カルメン、空になったグラスの縁を、そっと青年の唇にぶつける。
「プロージット」
青年、カルメンを壊れそうな人形のように見る。彼女の何もかもを、寂しく、凍えるように寒々しいものだと感じ、全てを洗礼のせいだと思う。しかし、カルメンは既に洗礼とパーティに埋もれており、青年もまたその中にいる。
「……Rさん」
「なあに?」
青年、手に一口も飲んでいないジュースのグラスを持っている。
「僕がこの場で真実を話すとして、それをためらう理由はありますか」
カルメン、胸元の薔薇を指で弄びながら笑む。
「いいえ、なんにも」
(2006.06.07)
<<< >>>
Home > 小説 > アンデラクト
Copyright (C)2007 Nathalie, my sweet darling. All rights reserved.