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昼の頭痛 〈中〉
Headache in the Daytime
*
土曜日もアルバイトが入っている。僕は午後から、雑貨屋のレジ打ちに向かった。
「やあ、色男」
店長の加住さんがからかうように僕を迎えた。
加住さんは、自分が僕と香音の縁を取り持ったと思っているので、僕のことをそんな風に呼ぶ。「やめてくださいよ」と反論するのが常だったが、昨日の飲み会での重たい気分が残っているのでうまく言えなかった。
荷物を置き、仕事着のエプロンを着ている僕に、加住さんが帳簿を付けながら言った。
「君、大江さんって知ってる人?」
手が止まってしまった。なぜ加住さんが大江さんのことを言い出したのかわからない。
「大学の、同じサークルの人です」
「そう。何だか、ずいぶん無愛想な人だったな」
素面の大江さんならそうかもしれない。
しかし、なぜこの雑貨屋に来たのだろう。確かにアルバイト先を教えたこともあったが、まさか覚えているとは思わなかった。
「今日の朝に来てさ、君がいないとわかると、何か手紙を渡してくれって言ってたよ」
はい、と加住さんが手を伸ばす。ノートの切れ端を畳んだようなものが差し出された。
謝るつもりだろうか、と僕は思った。
謝罪を受けても、それで大江さんを許すかは別の話だ。少なくとも、今の僕は再びにこやかに大江さんと顔を合わせられる自信はない。
もっとも、普段から迷惑をかけられっぱなしの大江さんに、笑顔を見せることが今までにあったとは言えない。
「それ、香音ちゃんにだってよ」
「え?」
ぼんやりしていた僕は、加住さんの言葉に虚をつかれた。
「その手紙は香音ちゃんに渡してくれって。何、まさかあの大江さんって、香音ちゃん好いてるんじゃないの」
訳がわからない。香音について書いた原稿は、もちろん香音はカノンとして登場しているわけだが、そういう作品は確かに私小説として読まれている。大江さんは作品は読んでいるから、カノン――香音について知ることはもちろんできる。
「大丈夫よ、あの人、香音ちゃんのタイプじゃないわ」
そんなことは心配していない。
まさか、大江さんが、あの思い出すのも疎ましい質問を、直接香音に問おうとしているわけではあるまい。
酔っている大江さんなら、もしかしたらやりかねないかもしれないが、素面の大江さんの所業ではない。
「ほら、君、働きなよ」
どこか楽しそうな加住さんに送り出されて、僕はレジについた。エプロンのポケットには、大江さんからの手紙が入っている。
それからの仕事は上の空だった。加住さんには申し訳ない。
手紙の中身が気になる。香音に渡す前に、せめて僕が目を通したい。
しかし、ノートを破ったものとは言え、他人宛の手紙である。それを勝手に読むというのは、やはりいけないことだろう。
ただ、ただ……と思考が堂々巡りをする。
偶然、客はいなかった。
読みたい。
大江さんは、香音に何を言おうとしているのか。
封を開くわけではない。
折りたたまれた紙を開くだけだ。
大したことではない。
そう、少し隙間から覗き見るだけでもいい。
誰にもわからないことだ。
僕は、ポケットから手紙を出し、指をかけた。
「あら、香音ちゃん」
店の奥から加住さんの声が飛んだ。僕ははっと顔を上げた。
香音がはにかみながら、店に入ってきていた。
「こんにちは」
「久し振りだね、香音ちゃん」
成り行きを見守ろうとする加住さんを前に、僕はまず体調を尋ねた。
「頭は、痛くないの」
「痛いです。前から変わらないみたい」
眉を下げて香音は言う。僕はもどかしい。彼女の頭の痛みに、僕は何もできない。
「じゃあ、何で出てきたの。大学は休みじゃなかったのか」
「実験が入ったんです。それで、何とか」
「休んだ方がいいよ。僕は今日はずっとバイトだから、急いで帰って」
「ちょっと、君、君。その前に、香音ちゃんに渡すものがあるでしょう」
そうだった。加住さんの見ている前では、ごまかすわけにもいかない。
「あのさ、意味がわからないと思うけど、これ、僕の先輩から」
手紙を渡された香音は、当然のことながら戸惑った。
「何ですか、これ」
「香音に読んでほしいんだって」
「私のこと、その人にお話ししたんですか」
「うん、まあ、少しだけね」
香音をモデルに小説を書いていることはまだ伏せている。別に言っても良いのだが、時期を逃していたのだ。
「見ていいですか」
「もちろん」
香音は、手紙を広げた。その中身が見えないかと思ったが、僕のところからは読めなかった。
手紙は短いものだったらしい。香音はほとんど一瞬で顔を上げ、不思議そうに僕の顔を見た。
それから、心を得たように一度頷いた。
「あの、じゃあ、私帰ります」
「あ、うん。気を付けて」
香音は、妙にそそくさと帰っていった、ように僕には見えた。その様子が、僕には気にかかった。
加住さんも、そう思ったようだ。
「香音ちゃん、まさか大江さんに気があるのかしら」
そういう問題じゃない。
しかしその夜、香音からかかってきた電話に僕は目を回しそうになった。
「頭痛、頭痛が、治ったんです」
風呂から帰ってきたばかりの僕は、湯冷めしながら香音の声を聞いた。
「治ったと言うか、治った、もう何でもなくて、ええ、わかったんです」
「そう、良かったね」
僕は心底ほっとしていた。
「はい。大江さんのおかげです」
一瞬、僕の思考はほとんど停止した。
「――何だって?」
「大、大江さんって、あの手紙を書いてくださった方ですよね。最後に署名がありました。あの手紙のおかげで、頭の痛みがなくなりました」
大江さんが、香音の頭痛を治した?
何だ、それは。
少しずつ不可解なことは毎日のようにある。生きていくことは不可解を歩いていくことに似ている。
しかし、この不可解は格別だった。
どうして、そんなことが起こり得る?
立ち尽くす僕の身体から、湯気が立ち昇っていった。
(2007.09.06/2007.09.20改)
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