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兎の葬列
The Funeral Procession of Rabbits

 酒を飲んで遅くなった。なお悪いことには、大江さんを先輩達から押し付けられてしまった。「大江さんとこは、西門のすぐ前だから、帰るついでに送ってやればええわな」と笑う。ついでと言うが、冗談ではない、僕の下宿は東門の方にあるのだ。
 僕は酒が弱い。先輩に注がれた二、三杯のビールでふらふらだ。一方、大江さんは豪快である。大きな身体で、空の杯を傾けるようにくいくいと日本酒を飲んでいく。そして急に立ち上がったかと思うと、身振り手振りを交えて、プロレタリアートに関する一考察を説いたり、シェイクスピアの戯曲を朗々と暗誦したりする。笑って見ていられるうちはいいが、あんまり続くとただただうるさい。それで僕の不本意なお持ち帰りとなったわけだ。
 大江さんと肩を組むように外に出た。間の抜けた配置の街灯が目に痛いほど、すっかり暗くなっている。空には星が見えた。今日は空気が落ち着いていたのか、きれいに見える。しかし隣で大江さんが腕を振り回しているのでは、おちおち感動もできない。
「大江さん、お宅はどこなんですか。どこまで送っていけば大丈夫ですか」
「何だ、もう帰るんか。帰らんでええ、帰らんでええ」
「お願いします、大江さん」
「語らんか、俺と朝まで語らんか、なぁ」
 絡み口調になってきた。なまじ、腕の筋肉など妙に立派なものなので怖い。慌てて話をそらそうと試みた。
「星がきれいですよ、大江さん」
 歯の浮くような台詞になってしまった。相手が大江さんではロマンも何もない。つられたのか空を見上げた大江さんは、「おう、おう」と唸ってから、また声を張り上げた。
「《西の青じろいお星さん。どうか私をあなたのところへ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません》!」
 僕は慌てて周囲を見回した。うるさいと誰かが怒鳴りつけてきやしないかと思ったのだ。幸い、僕の視界に他の人間はいなかった。
「しかし今は夏だ!」
 大江さんの方は呑気に笑っている。僕にはどこがおかしいのかわからない。さっきのも、おそらく何かからの引用なのだろう。僕が入学したての頃、大江さんがやはりそれらしいことを言ったので、「誰の言葉ですか」と聞いてみたことがある。しかし大江さんは「日本文学史上における佳作中の一節」と嘯き、僕のコップに追加のビールを注いだ。それ以来余計な追究は控えることにしていた。
 誰もいない学内を西門に向かって歩く。大江さんは、今度は誰だかの唱えた経済論を批判しているらしかったが、僕はそれを聞き流す努力をした。遠慮なく体重をかけられているので、肩が痛かった。
 そのとき、離れたところからがさがさと木立の揺れる音が聞こえた。今いる場所から西門まではまっすぐの広い道だが、その両側はちょっとした森のようになっている。音がするのは、左手側の奥の方らしい。

「大江さん、静かにした方が良さそうですよ」  言うだけ言ってみると、驚いたことに大江さんは本当に黙ってくれた。とは言っても、半分眠ったようになったのであって、肩への負担はますます大きくなった。
 とりあえず、それで苦情を言われることはなくなった。やれやれと思っていると、さっき物音がした辺りから人声が聞こえてきた。大江さんのように演説しているわけではないから、内容は全く聞き取れない。僕は牛の歩みを進めながら、そちらの方を見た。
 木と木の間に、急に人影が現れた。今までしゃがんでいたのが、立ち上がったのだろう。僕達に気付いたかはわからない。もちろん大江さんの声は聞こえていただろうが、距離は十メートルほどあるだろうし、今、僕が彼らを見ているかどうかは、相手からはわからないだろう。
 人影は、奇妙な形をしていた。
 二人いるようだった。二人とも、頭から何かが飛び出ているように見える。まるで兎の耳のようだ。目を細めて見るが、何のかよくわからない。
 二人はお互い少し離れて立つと、次の瞬間また見えなくなった。わずかな間を置いて、再び姿が現れたときには、二人の間に架け橋がかかっていた。凝視して、声をあげそうになった。人だ。駕籠を担ぐように、二人がかりで人を一人、肩に担いでいる。
 兎が人を担ぐ。鳥獣戯画のようだが、あの絵に人はいなかったはずだ。それは奇妙な情景だった。酔っ払いを連れていくにしても、あんな格好にはなるまい。
「大江さん、大江さん」
 思わず、大人しくなっていた大江さんに声をかけてしまった。ぱちぱちと瞬きをして、ぼんやりと顔をあげた大江さんは、まず僕に肩を借りている状況に気付き、「おお」と呻くような声を出した。だからと言って僕に体重をかけるのをやめはしない。
「何なんでしょうか、あれ」
 声をひそめて言いながら、兎の耳をつけた二人組が人を担いでいるのを指差した。その途端、人影は走り出した。まさに駕籠を担いで走るようなものだった。びっくりするくらい速い。普段から練習しているのではないかと思われるほどだった。そのまま僕達の進行方向とは反対の方へと消えていく。
 唖然としている僕の横で、大江さんが身を震わせた。大江さんはくつくつ笑っていた。そしていきなり喚き出した。
「《葬列はまるで脱兎のようであった》!」
「聞こえますよ」
 僕は人影を目で追った。もう小さくなってほとんど見えない。
「《葬列はまるで脱兎のようであった》!」
「大江さん!」
 言われて初めて思い至った。あの担がれた人影は、そう、確かに死体のようであった。では、あの二人は死体を運んでいたのか? 背筋が寒くなる。しかしそれなら、あの兎の耳は何なのだ。脱兎のように逃げるため? まさか、そんな。
 僕はすっかり混乱してしまい、いつの間に下宿に着いたのかもわからないくらいだった。となれば良かったのだが、その前に、笑い続ける大江さんを何とか西門の方に引きずっていき、しかも大江さんが指示するので仕方なく家まで付き合い、そこでまた酒を飲まされそうになるのを何とか辞退して、ようやく下宿に戻れたのだ。僕はもう芯から疲れきって、ほとんど気絶するように眠ってしまった。

 この夜に見た人影について、一週間後、何事もなかったかのように部室に現れた大江さんに話してみた。大江さんはちっとも覚えていなかったが、代わりに人影の正体について推理をしてみせた。それは非常に論理的なもので、少なくとも僕は納得させられたのだが、これを書いたのでは大江さんが格好良くなり過ぎてしまう。大江さんに散々面倒をかけられた僕としては、それは大いに不服であるので、このあたりで筆をおくことにする。
(2007.07.05)

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