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高層ブリッジ
Multistory Bridge
男と別れた。ショックでひっくり返った。そうしたら、ブリッジをしたまま起き上がれなくなった。
両手両足を床につけ、背を下にして反り返る。今まで肩にかかっていた髪が、地面をこする。もうずっとこのままなのだろうか。こんな格好では、毛布をかぶって小さくなることもできないし、涙は髪の生え際にばかり流れていってしまう。
ブリッジの体勢とはいえ、じっとしていると、自然に身体を動かしたくなる。ところが、移動しようとすると、ただそれだけのことがままならない。どう手を動かせば前に進むのかわからない。手と足は同時に出せばいいのだろうか。そのうち、どちらが前でどちらが後ろかもわからなくなってしまう。左右はもっとややこしい。左手の方に行くと右に曲がることになる。手足がこんがらがる。自分の身体が自分のものでないように思えてくる。
冷たいフローリングに手をついていると、ふっと彼と手をつないでいたときのことを思い出して、どうしようもなく悲しくなってしまった。身を震わせて泣きに泣いて、気が付くと服がずり上がり、お腹がむき出しになっている。天井を向く自分のへそを下目に見ていると、むなしさに涙は出なくなったけれど、気持ちにぽかんとあいた穴はかえって広がってしまった。
何日かそんなことを続けていると、姉がどこかに遊びに行かないかと誘ってくれた。傷心旅行というつもりなのかもしれない。「遠くには行きたくない」と言うと、姉は「じゃあ、東京タワーにでも行ってみよう」と提案した。そう遠くなく、小さな頃に一度行ったきりだった場所で、「そのくらいならいい」と私は頷いた。
ブリッジをしたままだと、電車に乗るのが面倒だ。姉が車を出してくれた。それでも、どんな格好で乗ればいいのかわからずに苦労した。結局、座席の上で反り返っているのは危ないので、運転席と後部座席の間に身体を入れ、はさまっておくことになった。姉は運転しながら、車を止めるごとに振り向いて私の様子を確認していた。
駐車場で、姉の手を借りて車から降りる。家の中ではずいぶん動けるようになっていたけれど、外に出るのは初めてだった。姉が機転を利かせ、古い手袋を用意してくれていたので、それをはめて地面に手をついた。
もちろん、他の観光客やタワーの係員が周囲に大勢いる。対策は抜かりない。髪は地面につかないようアップにしてまとめてある。また、間違ってもお腹が出たりしないよう、姉に頼んで、ジーンズの上にワンピースを着せてもらった。ワンピースの裾を踏まないよう気をつけながら、ほんの一瞬だけ、この服装で彼と出かけたことがあったな、と思った。
チケットを買い、エレベータに乗り込む。タワーの説明をするアナウンスを聞き流しながら、外の景色を少しでも見ようとする。まだ夜景には早い時間で、鉄骨越しに見えるのは青色の空ばかりだ。縦に流れていく空を見ていると、何だか自分が落下しているようにも感じられた。
エレベータを降りて、展望台に出る。良かった、と思ったのは、低い位置にもちゃんとガラスが張られていたことだ。そういえば、ずっと顔が床の近くにあったので、見える範囲が狭くなっていた。そろそろとガラスに近付く。すると、上下左右、一気に視界が広がった。自分はこんなに広い世界にいたのだっけ、と不思議なくらいだった。「何でも小さいね」と姉が独り言のように呟いた。
階を移ると、展望台の一角に、床が透明になっている場所があった。タワーの真下を覗くことができる。私はその上に行って、ぐっと首を反らす。作り物のように小さな車に細い道路、それと不恰好なタワーの足が見えた。姉が心配そうに「怖くない?」と尋ねてきた。「怖いけれど、でもこういうものにはだいぶ慣れた」と返事をした。
ひたすらに下を見続ける。ふいに、街が宙に浮いているような錯覚が起きた。宙に街並、足下に空。私は今、さかさまだ。さかさまになって、それで、どこにいるのだろう。
どうしてこんなに何もかもが遠いのか。ああ、広いから遠く見えるのだ。それで全てが小さいのだ。きっと私も小さいのだろう。だから、街と空の真ん中で、さかさまに浮かんでいるのだ。
外がだんだん薄暗くなってくる。街にあかりが灯り始める。姉が、何気ないようなふりをして、「まだ好きなんでしょう」と言った。私はさかさまになったまま、「別に」と答えた。
(2007.02.27)
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