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酔 01
a story of a drunk who is sobbing -1-
ああ、もう……最悪。
どう? これ、あたし、すっごいおしゃれしてきたのよ。なのに、あの人ったら。
本当、やんなっちゃう。
ねぇ、ちょっと、愚痴聞いてくれない? 女の愚痴って、嫌よね。でも、あたしならいいでしょう? 何がいいかわかんない? うんうん、正しい、君は正しいよ。でも、聞いてほしいんだもん……あたし、酔ってるね、わかってる、うんうん、わかってないかもね。そんなの、どっちでもいいでしょう。聞いてほしいんだもん。
ああ、ちょっと、氷をちょうだい。氷。あのね、とけちゃだめなの。だって、とけた氷って、つまりは水でしょう? 水と氷は違うのよ。だから、とけてないやつをお願い。どうするかって? 飲むのよ。とける前に飲み込まないとね、へへ。あたしが飲みたいのは氷であって、水じゃないんだから。でも、どうなのかしら。体の中に入っても、氷は氷のままだと思う? やっぱり、そこはそれ、水になっちゃうのかしらん。だとしたら、つまらないわね。ああ、人生は虚しい!
何の話だったっけ……?
そうよ、そうよ。あの人の話。あの人って、つまりあたしの恋人になるはずだった人のこと。あたし、てっきりそうなるものだと……思ってたのよ。
もう、泣けてきちゃうじゃない……ごめんね、こんなのに付き合わせて。あたしね、泣き上戸なの。泣き上戸? 笑い上戸って言われたこともあるかな。あのね、喋り上戸って表現した人もいる。これ、ちょっと、ちょっとだけ言い得て妙だと思うの。あ、これっておもしろい響きじゃない? 言い得て妙。ほら、君も言ってみれば。イイエテミョウイイエテミョウイイエテミョウ。何だか、こんな野菜ありそうね。ないかな。言い得て妙って、どうしてうまいこと言っているのに妙なのかしら?
そうよ、あの人の話。駄目ねぇ、あたし、やっぱり酔ってるわ。どこで飲んだんだっけ? 駅前で、そう……あれ、まだ一軒しか行ってないわよ。二軒? あれ?
ああ、そう……あの人と待ち合わせしたレストラン。フレンチレストラン。どうしてフランスなのにフレンチなの? これって、何だか親切じゃないと思うの。イタリアだったら、イタリアンでしょう? フランスンでいいじゃない。スンっていい響きよ、可愛らしくて。
待ち合わせはね、メールでしたの。ううん、正直言うとね、あたし、今日初めてあの人と会ったの。今までは、メールでしか話したことなくて。ちょっと、君、出会い系じゃないかって疑ったでしょう。出会い系サイトって、あれ、莫迦莫迦しいわよ。出会うためだけの場でしょう。出会いって、そんなもんじゃないわよね。出会いなんか目的としてないのに、しちゃうのが出会いってものよ。これ、わかる? すっごく崇高な理屈なんだから。スルメイカみたいな。よく噛まないとわかんないのよ。スルメイカって、おいしいわよね。あたし、大好き。
あの人のことは、趣味の掲示板で知ったの。君は知ってる? 《酔客の溜まり場》っていうサイトなんだけど……酒飲みならね、あれは見なきゃ駄目。本当、駄目。もう、あたし、君を酒飲みとは認めないからね。君、素面? ああ、飲まなきゃ、はい飲んで飲んで。飲まないと、ねぇ、こんな酔っ払いに付き合ってらんないでしょう。
おっ、あたしが冷静なのに驚いたか。あたし、今は存外に冷静なんだぞ。冷静と言えば、まだ氷が来てないじゃない。ねぇ、あたし、頼んだでしょう。どうして来ないの? ああ、きっとこれは、とけちゃったんだな。持ってくる途中でとけた。だから、もう一度冷凍庫に戻って、新しい氷を取ってこようとした。だけど、それもまた持ってくる途中でとけちゃった。もう一度冷凍庫へ。これ繰り返しているうちに、氷が全部なくなっちゃった。どうよ、あたしのこの名推理。素晴らしいでしょう、頭脳明晰でしょう。ここで才色兼備と言わないのが、あたしの奥床しい大和撫子たる所以よ、君。
《酔客の溜まり場》って、結構好きな名前。酔客っていう言葉がいいよね。酔人って言うより、趣がある。でも、粋人っていうのもあるか。粋な人、って書くやつ。粋人はいいね。でも酔客もいい。もうどっちでもいいね、はは。
そのサイトにね、日本酒好きの人たちが集まる掲示板があるの。君、どんな日本酒が好き? あたしはねぇ、やっぱり「朝舞鶴」が最高だと思う。これはね、賛同してくれなくていい。あたしが好きってだけで、そんなに人気のあるやつじゃないから。あと、よく飲むのは「神田初柳」とか「透海」とか。「透海」は、でも、あんまり日本酒らしくない。らしくないけど、新しい感じがいいの。たぶん、すぐに飽きちゃうんだろうな。でも、今はおいしい。
あの人の名前はね、ずっと知っていたの。掲示板でよく見かけていたから。毎日来ていたのは、あの人くらいじゃなかったかな。だけど、メールまでするようになったのは、つい最近。
あのね、「笑い梅」っていう日本酒、知ってる? あれが、掲示板で話題になったの。管理人さんが、これはおいしいって言い出して、みんなも飲んでおいしいおいしいって。だからあたしも飲んでみたのよ。
酷かった。まずい、口に合わない、っていう話じゃないのよ。あれは、日本酒を冒涜していると思った。何て言うか……押し付けがましいの。日本酒が好きなんでしょう、だったらこれはおいしいはずですよ、って……飲む人に媚びている感じ。日本酒は、媚びたらおしまいだよね。こう、凛としたプライドがないとさぁ。さっき、「透海」の話をしたでしょう。あれは、また違うの。気合いが入っている。あれはあれで、日本酒を極めようとしていると思う。必ずしも成功はしていないけれどね。
正直、正直ね、あたし、日本酒のことなんて全然わからないの。どこの米でどこの水がおいしいとか、熟成がどうとか、もう、そんなのどうでもいいの。あたしは、思想が大事だと思う。日本酒の思想。これ、冗談でなく考えているんだから。大学の卒論はね、「日本酒における思想史の考察」だったのよ、あたし。嘘だけどさ。
そう、「笑い梅」の話だったっけ。あたし、割と今はしゃんとしていたでしょう。筋の通った話ができていたと思うんだけど、どう? うんうん、ちょっとがんばったのよ、あたし。酔った頭に鞭打って。自分に厳しく他人に優しい、みんなのためのあたしです。ははは、これで選挙に出たら、あたし、受かっちゃうんじゃない? 一番近い選挙って何かな。出ないけどね。
はい、ひとつ深呼吸。
あたし、「笑い梅」はひどい日本酒だとおもったわけ。だけどね、思想のことなんて、掲示板じゃ言いにくいわけよ。理屈じゃなくて、感覚だから。私がもし「笑い梅はひどい日本酒だと思います」って掲示板に書き込んだらどうなると思う? 優しい管理人さんは、怒りもせずにこう言ってくれるのよ。「人にはそれぞれ好みがありますからね」! ああ、もう、ありありと予想できちゃう。これ、一言一句間違ってないと思うよ。本当は、一句くらい違うかもしれないけど。
そんなわけで、あたしは「笑い梅」が賞賛されているのを、指をくわえて見ていたわけよ。最も恐ろしいものは団結した市民である、君子危うきに近寄らず、って。
だけど、そこにね、大胆にも一人で対抗した人がいたの。「笑い梅には芯が通っていないと思うのですが、どうでしょう」って。それがね、あの人だったの。
何しろ彼は掲示板で一番の常連だったから、あの人の意見に反論は出なかった。反応もなかったけど……うん、そこであたしがしゃしゃり出たの。「あたしも同感です」って。
あのね、二人の力って凄いのよ。これ、本当に実感した。異質な意見でも、二人が言い出すとちゃんと議論に発展するの。目も耳も手も足も箸も靴も、全部二つセットのものでしょう。脳も、右脳と左脳の二つある。あれ、大脳と小脳? まあ、いいや。人間にとって大切なものは、みんな二つなのよ。二っていうのは、きっと神秘的な数字なんだわ。そういえば、人の性も二つじゃない。きっと地球をつくった日の、神様のラッキーナンバーだったのね。今日の占い、カウントダウン!
ああ、あの人の話をしようとすると、どうしてもまっすぐには進まないなぁ。これ、あたしが酔ってるから? いいえ、あの人のせいよ。思い出すだけで思い出したくなくなる……思い出したくないって思うと思い出しちゃうのよね、もう。
あたし、酔ってないでしょ。何か、そんな気がしてきたわ。今まで酔っていると思っていたのは、酔いが生んだ幻想よ。こんなにしっかりした酔っ払いがいるもんですか。スーパークールよ、南極の白熊だって真っ青だわ。白いのに。
そう、思い出した。君、早く氷をちょうだい。とびっきり冷たいやつをお願い。南極より愛を込めて。ああ寒い。
(2005.10.05/2006.11.11改)
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