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彼女の勝手
absurd couple
五分前に「コーヒー二つ」と注文したのと同じ口調で、彼女は「もう会うのはやめましょう」と言った。僕はそれがつまらない冗談かどうか、強弱をつけて四度確かめたが、彼女はちっとも笑わなかった。
「僕が、何か悪かった?」
「何も」
「君の気に染まないことをした?」
「全然」
埒があかない。僕は彼女にコーヒーを飲む暇も与えず「どうして?」と尋ね続けた。彼女に嫌われるとしたら、今のこのしつこさ以外に理由が見つからなかったから。
「だったら聞くけれど」
辟易したのか、彼女は表情を変えずに口を開いた。同時に僕は口を結んだ。
「あなたは、別れたくない?」
彼女の口から出た「別れ」という言葉に僕の肩はぴくりと揺れた。即座に「嫌だよ。こんなに突然」と言い、自分の声の大きさに驚いた。
「それなら、やってみましょう」
彼女はおもむろに自分の腕時計をはずした。ワインレッドの細いベルトが美しく、彼女によく似合う、と僕は思っていた。
「一分間でいいかしら」
「何が?」
「あなたが時間を数えるの」
彼女は断定するように言う。
「一分。私が時計を見ているから。あなたが感覚だけで正確に一分間を計れたら、今までのようにお付き合いしましょう」
「どうして?」
僕は思わず言葉を挟んだ。
「どうして、そんなことをしなければならないの?」
「説明してほしい?」
当たり前だ、と思った。でも、彼女の機嫌を損ないたくなくて、僕はそれ以上問わずに従った。
彼女が時計を見る。僕は目を閉じて、合図を待った。
「ようい……スタート」
一分。六十秒。数を数えるだけの時間。一瞬、彼女の姿が頭をよぎった。感覚が乱れただろうか、と不安になるが心を立て直す。長い。こんなに長くていいのだろうか。一分間なんてもうとっくに過ぎたような気がする。それとも、まだ十秒も経っていないのかもしれない。
「……ストップ」
言うと同時に、目を開ける。彼女はじっと時計を見ていた。僕の方に視線を向けもしない。僕は絶望的な気分で審判を待った。
彼女が、コーヒーをぐっと一息に飲み干した。
「時間ぴったりよ。素晴らしい」
僕はかえって戸惑った。「本当?」という言葉が口から出かかったが、もしも否定されたら怖いので、何とか思いとどまった。
彼女は唇をゆるめて目を細めた。僕の好きな彼女の笑い方だ。それから彼女は、空になったコーヒーカップをテーブルに置き、いつものように「愛してる」と囁いた。
僕は彼女の手の上に自分の手を重ねた。僕の一分間が本当に正確だったかどうかなんて、そんなことはもう気にしない。だって、僕も彼女を愛しているから。これ以上、何が必要? 僕らはにっこりと微笑みあった。
(2006.03.13)
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