場外劇場 ――ミツル ?/三人は一人の正体を知る
Theater outside the theater -13-
*
「――――!」
その声が耳に入り、泉は動きを止めた。
遠い声だった。決してはっきりと聞こえたわけではない。周りにいる人々には、ほとんどわからなかっただろう。しかし、泉にはわかった。
ミツルの声だ、と泉は思った。
ミツルは映写室にいるはずだ、という考えは泉の中から消えていた。ただ、今の声はミツルのものだと、泉は強く強く感じたのだ。
泉がミツルのものだと思った声は続けて叫んだ(。
「止めないでくれ!」
誰か別の人間の声もしているようだったが、それは泉にはよくわからない。
「行かせてくれ!」
電気を点けるように、泉の中で何かが切り替わった。今まであった惑いや妥協のようなものがはがれ落ち、素直な自分の気持ちだけが、つるりと目の前に現れた。
――行かせてたまるか(。
泉は駆け出した。声の聞こえた、廊下の奥へと。
*
舞台挨拶が始まったらしい。ホールには三十人近くが集まっており、わずかにでも俳優たちの姿が見えないかと期待している。ドアの近くで聞き耳を立てている者までいた。
しばらく経って、片桐と鳥居は、何の成果も得られないままに戻ってきた。泉は椅子に座ったままじっとしていた。ホールに入った辺りから、片桐はちらちらと辺りを見回している。そして、泉の前に来ると、不思議そうに問うた。
「花丸さんは?」
花丸の姿はそこになかった。泉が一人で座っているだけだ。
「また屋上に行ったのかっ」
「鳥居さん、それはないですよ。俺たち、ずっとそこの廊下にいたじゃないですか……どうしたんですか」
泉は二人の顔を交互に見ながら、丁寧に言った。
「あの花丸さんは、屋敷正典さんです」
「屋敷?」
鳥居は首を捻った。片桐は黒目を揺らして、「え?」と呟いた。
「屋敷正典って、あの、脚本の人じゃないですか」
「そうです」
「何それ、えっ、どういうこと?」
鳥居は急いで自分の鞄を開け、パンフレットを取り出した。最後のページ、スタッフ欄に、『脚本・屋敷正典』の文字を確認する。
「しかし花丸だと……自分で言っとったじゃないか、あいつは」
泉は、花丸――屋敷から聞いた話を二人に伝えた。
「恥ずかしくて名乗れなかった、と言っていました」
「恥ずかしいってなぁ……」
「あの方は、屋上から飛び降りようとしていたんですよ」
屋敷の「恥ずかしい」にはもう少し含みがあっただろう、と泉は思っていた。
「とっさに思いついた名前が、花丸だったそうです。ずっと、《奇跡少女ラテココ》の仕事をしていたから、と」
「何でよりによって沙亜羅の名前を……」
「上田さんや小野瀬さんの名前を使ったら、嘘だとばれるんじゃないかと思ったんだそうですよ」
「妙なところは考えるんだな」
沙亜羅の本名を知らない片桐は、一人きょとんとした顔をしている。
「あんた、泉さん、あの花丸が脚本家だと知っとったのか」
「知っていたような……全然知らなかったようなものです」
泉は曖昧に答えた。
「どうして屋敷さんが、今日ここで飛び降りるんだよ」
片桐は落ち着きをなくした様子で、独り言のように言う。
「だって、屋敷さんの映画じゃないか。何で屋上で」
「納得がいかなかったそうですよ」
「そんなこと言ったって、仕方がないじゃないですか」
片桐の口調は怒ったようだった。
「監督さんと合わなくたって、役者が大根だからって、自分で書いた脚本には変わらないじゃないですか」
「それは、屋敷さんもおっしゃっていました」
「じゃあ、何でだよ。そんなのはプロじゃない、プロじゃない」
「いくつかの事情はあったんです」
「だからって」
言いかけて、片桐はすっと目を伏せた。
「俺は、残酷だったかなぁ」
何を言っているのか、一瞬泉にはわからなかった。少しおいて、片桐が映画を悪く言っていたことを指すのだろうと見当をつけた。
「片桐さんは、でも、どちらかと言うと屋敷さんの側なんじゃないですか」
「それは、俺も舞台演劇をやるし……屋敷さんの台本でも、演ったことありますからね。長台詞が多くて参ったけど」
「結局、文句を言っとるじゃないか」
鳥居がそう言うと、片桐はびっくりしたような顔をした。そして、ふいに破願すると「本当だ」と言った。それから、泉や鳥居に聞かせるように見せかけて、わざと聞き取りにくいようなこもった声で何か長い文章を口にした。泉は尋ねた。
「今、何を言ったんですか」
「僕が演った、屋敷さんの劇の台詞」
片桐はそれ以上説明しなかった。そうしてふわりと微笑んだ。
「それで、その屋敷はどこに行ったんだ」
「舞台挨拶に出ていらっしゃるはずですよ。その予定でここに来ていらっしゃったそうです。……お二人に、謝っていらっしゃいましたよ。本当は、沙亜羅さんたちのいる場所、ご存知だったんですって」
鳥居が目を剥いた。泉は「いずれにせよ、一般の人は入れないところだそうですよ」とつけ加えたが、鳥居はショックが抜けきらない様子で「聞いときゃ良かった」と口走った。
そのとき、ホールがざわついた。映写室の扉が開いて、客たちが連なるように出てくる。同時に、ホールにいた人々が扉に寄っていった。騒然となった映写室前を、係員が整理しに走る。
「何だ、あれは」
「もしかしたら、沙亜羅ちゃんたちが見えるんじゃないですか。舞台挨拶が終わったんですよ。見に行きますか?」
「ああ、今度こそ、だな」
「俺は、友達も探さなきゃなぁ。じゃあ、僕たちまた行ってきます」
片桐は泉に手を振り、鳥居と共に映写室前に向かった。出てくる人々と中を覗こうとする人々がぶつかって、小さな騒ぎになっている。
泉は出てくる人の列を、じっと目を開いて見ていた。ミツルはまだ出てこない。人々を見ながら、泉は屋敷と交わした会話を思い出す。――――
(2006.11.04)
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